鋳造にこめる想い MESSAGE
創業と成長の歩み
創業した当初、日本管楽器(現在のヤマハ)が楽器部品の製造を依頼できる業者を探していることを知り、祖父は砂型を使った鋳造に挑戦しました。
試行錯誤を重ねた結果、ついに製造に成功し、周囲から高い信頼と評判を得ることができました。
これが転機となり、小さな楽器店からもたくさんの注文をいただき、事業は順調に軌道に乗り始めました。
昭和45年(1970年)頃には、第二次ベビーブームの影響で小中学校のプール建設が増え、その需要に応える形で給・排水口金具の製造も手掛けるようになりました。
また、商業施設のドアノブや住宅建築用品、さまざまな製品の製造にも取り組み、事業の幅を広げていきました。
メーカーが持参する型をもとに砂型を作成し、多様なニーズに応えることで事業を展開していきました。
祖父は利益だけでなく、求められるものに応えるための試行錯誤・努力を惜しまない人でした。

祖父から孫へ受け継がれる技術
つくばエクスプレスの建設が進み、六町(足立区)の再開発が進む中で、叔父が営んでいた鋳造場も立ち退きが必要になりました。
そこで、五反野の工場に機材を引き継ぐことになり、私もこの頃から事業に関わり始めました。
祖父母や職人たちから鋳造技術を教わりながら仕事を学んでいきましたが、最初のうちは型込めをする際に「まるで砂遊びだ」と言われたこともありました。
それでも少しずつ技術を身につけ、鋳造の奥深さと、それに携わることへの誇りを感じるようになりました。
鋳造業に携わって18年が経ち、創業者である祖父が亡くなった後、私は家業を引き継ぐことになりました。祖父から受け継いだ技術と品質を守り続けるために、一歩ずつ着実に努力を続けています。

鋳造技術に込めるこだわり
鋳造の工程で最も難しいのは、型込めから湯入れまでの作業です。
材質の調合具合、天候、火の状態によって仕上がりが異なるため、慎重な管理が求められます。
お客様との信頼関係は、製品の品質を通じて育まれていきます。
そのため、納得のいく品質を提供するために、状況によっては納期をしっかりといただくこともあります。
現在、主に扱っている材質は洋白と真鍮です。
アルミニウムも時折手がけますが、洋白を扱う鋳造所は非常に少なく、その製品は主に洋食器、装飾品、楽器などに使用されています。
洋白は壊れにくく、長く愛用される製品に価値を見いだせる素材です。
しかし、かつて金属で作られていた部品も、機器の耐久年数に合わせてステンレスやプラスチックに置き換わり、需要が減少してきています。
時代の変化に対応する必要はありますが、それでも世の中から求められるものを作り上げる喜びは、この仕事の魅力の一つだと実感しています。
